和霊神社は、伊達政宗公の長子秀宗公が宇和島藩10万石に封じられた際、家老として付き添った「山家清兵衛」が非業の死をとげたことから、その後清兵衛を弔うために宇和島城外に建てられた社が宇和島和霊神社となりました。仙台の和霊神社は、仙台に残った清兵衛の長男、山家喜兵衛がその後に仙台の邸内に建立し、豊三郎の代まで屋敷内に祀られていたものです。
山家家は明治以降、東一番丁から東二番丁立町横町(現広瀬通り)角、台原へと移っていきましたが、その後の戦災で仙台市内が被災した際、和霊神社も山家家のある台原へ移転しました。再建立の際、焼け残った2体の狛犬が再び社を守っています。
仙台フォーラス屋上。和霊神社の様子。
昭和52年(1977)一番町一番街商店街の活性化を願って現在の場所(フォーラス屋上)に分霊鎮座し現在に至っています。(2024年2月末より仙台フォーラス休館)
近隣の小学生の社会学習での様子。和霊神社の成り立ちをパネルを使って説明します。
※現在和霊神社は台原5丁目に鎮座しています。またFORUS屋上の分社である仙台一番町の和霊神社は、フォーラスの休館に伴い、現在非公開となっています。
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